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欲しいものが増えすぎて辛い、ってこれからますます

 

私の家の近くを都電が通っています。

 

面影橋という小さな橋と停留所がありまして、

 

橋の下には神田川が流れています。

 

 

 

 

 

 

 

1973年、「神田川」という曲がミリオンセラーとなりました。

 

畳三枚しかないアパートで暮らした、大学生らしき男と女。

 

銭湯に行き、外で相手を待ったことを思い出に語る歌。

 

「若かったあの頃、何も怖くなかった」

 

そんな歌詞とメロディーが、ラジオから火がついて

 

若者を中心に多くの人々の心をつかみました。

 

まだ、ほんの子どもだった私も、

 

将来は、そんな風に銭湯に行ってみたいと思ったものでした。

 

 

 

 

 

今では「神田川」、懐かしい歌として歌われることはあっても、

 

共感されることはないような気がします。

 

3畳しかないアパートなどありませんし、

 

あっても、そんなアパートに住みたい学生カップルはいなそうです。

 

 

 

 

 

安全で清潔な住まいは欠かせなくなっています。

 

エアコン、大型冷蔵庫、テレビ、パソコンは必需品、

 

電気代だって高くなっています。

 

スマホは家族全員の必需品となり定期的に買い替え、

 

端末とは別に月々数万円の通信費の他に、

 

インターネットプロバイダー契約も不可欠。

 

 

 

 

 

服はファストファッションの台頭でワンシーズン限り、

 

化粧品も美容室も、

 

外食も旅行も、

 

自動車も必要、ゲームも必要、映画も観たい、

 

ひとつくらい高価なバッグが欲しい、

 

塾にも行かせなきゃ、もちろん個別指導ね、

 

万が一のためには生命保険、火災保険、自動車保険、地震保険に自転車保険、

 

こうなってくると、貧乏なんてとんでもない話で、

 

貧乏=不幸

 

といった図式しか浮かんできません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「貧乏は味わうもの」(古今亭志ん生)

 

なんて言葉はもう、今の時代に響くことはなさそうです。

 

清く、貧しく、美しく、など

 

貧しさは決して不幸の象徴ではなく、

 

貧しいながらも、希望をもち、夢を語り、未来に期待ができ、

 

貧しいながらも笑いあり、涙あり、

 

そんなドラマ、映画、小説、落語、演劇がたくさんありました。

 

 

 

 

 

 

現在、日本社会の貧困が問題となることが増えてきました。

 

高齢者の貧困、

 

母子家庭の貧困、

 

非正規労働者の貧困、

 

年収1000万円でも貧困、

 

などなど、

 

日本の貧困に関するニュースがない日はありません。

 

 

 

 

 

 

貧困は経済学の問題であり社会問題、

 

貧乏は個人の問題、

 

言葉からはそんな違いを感じます。

 

しかし、個人の側に立てば、貧乏も貧困も、貧しい状況に変わりはありません。

 

今日たべる米がない、という状況ではないにしろ、

 

スマホがない、

 

エアコンがない、

 

テレビがない、

 

外食がない、

 

高価なバッグをもってない、

 

こういった「ない」暮らしは貧困という範疇に入るのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

ある程度の平均以上の収入があったとしても、

 

かかる費用が次々に襲いかかってくることを考えれば、

 

これから迎える未来はさらにさらにますます費用が増える予感がして、

 

なんだか「お金が足りなくなりそう」といった思いが湧き出てきます。

 

 

 

 

 

 

バーチャルリアリティーのソフトとハードが必要、

 

お掃除も会話もできるロボットも必要、

 

人工知能を搭載した冷蔵庫やテレビも必要、

 

やせ薬も必要、

 

毛はえ薬も必要、

 

若返り薬も、美肌薬も、色白薬も、宇宙旅行も、どこでもドアも、

 

あれもこれも、なんでもかんでも全部必要、

 

そして欲しいものに限って費用が驚くほど高い、

 

これではますます貧困になってしまいそうです。

 

 

 

 

 

なんだか、世の中がどんどん豊かになっていく一方で、

 

個人がどんどん貧乏になるとはとても妙なことですが、

 

でも、やっぱりそうなってしまうような気がしてなりません。

 

 

 

 

 

 

今でさえ、豊かな人だけが、

 

高度な移植手術を受けることができ、

 

事故にあっても死なない高級車に乗ることができ、

 

子どもにお受験や名門大学留学など優れた教育を与えることができ、

 

教育水準の高い子どもだけにチャンスが集中し、

 

例えば有利な就職できたり、

 

あるいは多額の相続遺産を受け取ることができたり、

 

苦労のない、楽な人生を約束されていたりします。

 

 

 

 

 

 

この差がますます加速していくとすれば、

 

私たちはこの現実をどう受け止めればいいのでしょうか。

 

人と比べたりせず、人を気にすることなく生きていくなんてできるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

これからますます、

 

欲しいものが次から次へと押し寄せてくることはどうやら間違いなさそうですが、

 

外から欲望を刺激され続け、

 

外から植えつけられた欲望の赴くままに生きてゆくことは、

 

経済的にも、精神的にも辛そうな気がします。

 

 

 

 

 

貧困や貧乏から美学を見出すことは難しい時代になりましたが、

 

なんでも欲しがる体質を自分でコントロールできるようにならなければ、

 

典型的な欲求不満、ストレス原因による不幸になるような気もします。

 

 

 

 

 

 

 

みんなが持っている、

 

というだけで「欲しい」と湧き出る感情をのさばらせておくわけにはいきません。

 

感情に完全支配されてしまうことは感情の奴隷となっている状態ですから、

 

感情をコントロールする理性を持つことで奴隷から解放されることにつながるものです。

 

 

 

 

 

私たちの「欲しい」は「必要」という言葉に置き換えて一呼吸すれば、

 

たいていのものは「不要」であり、なくても楽しく生きることはできるものです。

 

なんにもなくても平気で生きていける人の強さは見習う点があります。

 

欲しいものがどんなに押し寄せてきても、結局、

 

必要なものが、必要なときに、必要なだけあればいいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年7月15日(金)

鹿島学園通信制学習センター東京池袋サンシャインキャンパス

崎山潤一郎

 

 

 

 

 

 

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